No.4 水鳥のみち
【コース設定】JR下総松崎駅 ~ 成田市北須賀・甚平渡し 5.8km 1時間30分
2016年11月29日(火) 晴れ
甚兵衛渡しBS 8:50 ~ 甚平排水機場 9:20 ~ 下総松崎駅 9:50
<古墳をたずねるみち>に続く
歩行時間 1時間00分(小休止含む) 行動時間 1時間00分
同行者 単独
京成・公津の杜駅からコミニュティーバスで16分、終点・甚兵衛の渡しに着く。
日本名松百選に選ばれた、良く整備された“水神の森(甚平の森)”があります。
そこには次のような甚平の渡しのいわれが書かれています。
【甚平の渡し】
甚平渡しの由来は案内板によると概ね次のような文章が書かれていました。
台方村の名主(なぬし)であった佐倉惣五郎(さくらそうごろう)は、打ち続く凶作と重税に苦しむ農民たちを救おうと佐倉藩内の名主たちと一緒に江戸屋敷へ強訴したりして税の軽減を願い出ましたが聞き入れられず、やむなく将軍への直訴(じきそ)を決意しました。
雪の降りしきる夜、江戸出府のため密かに、この渡し場に来た惣五郎を任侠の渡し守、甚平は、禁制を犯して鎖を切り、舟を出して惣五郎を送った後、老いて捕らわれの身となって生きながらえるよりはと、凍(こご)える印旛沼に身を投じたという悲しい物語があります。
江戸に出た惣五郎は、承応元年(1652年) 四代将軍『徳川家綱』
に直訴状を差出し願いは聞き届けられましたが、この時代は、直訴は大罪です。惣五郎と四人の子どもは、処刑され現在の成田市にある宗吾霊堂に合葬されています。・・・一命のみならず我が子の命を賭して飢えに苦しむ農民たちを救ったのです。
※ 甚平・甚兵衛・甚平衛と表記がいろいろありどれが正しいのか?
9時前スタート、印旛沼に沿って歩く道が、道路工事でう回路をくるくると回ることになる。標識はしっかりしていて迷うことはない。
甚兵衛揚排水機場に、印旛沼農地改良の一端が書かれた看板がある。
以前から印旛沼の周囲の大規模な治水の歴史を聞いたことがあるが、改めて目にしてその偉大な事業に驚く。詳しくは下記の報告書に記載されている。
http://inba-numa.com/html/file/torikumi/mitameshiseika/inbanumamonogatari_all.pdf
広大な田んぼの中を黙々と歩く。道路工事の警備員に話を聞くと、関東ふれあいのみちとして歩く人には会ったことは全くないとのこと。
1時間余りでこのコース5.8kmの終着点・下総松崎駅に到着する。